【寄稿】難聴であることを受け入れるということ

東京都在住のT.Rさんにご寄稿いただきましたので、掲載いたします。
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私は感音声難聴による聴覚障害4級です。私の両親は健聴者です。

聴覚障害になった理由は良く分からないのですが、多分、子どもの頃の高熱のために難聴になったと言われています。最初に、検査で引っかかったのは小学校3年生の頃の健診でした。後で聞くと、私がもっと小さいころから亡くなった祖父が、“あんたは、耳の悪かもんね”と言っていたそうなので、もっと前から耳の聴こえは悪かったのだと思います。

毎年、聴覚検査で引っ掛かるものの、幸か不幸か私の聴こえない音は電子音のような音、さ行、かすれた音等(と分かったのも後になってから)、人の声は基本的には入って来ていたので普通に生活をしていましたし、目が悪い人みたいにちょっとだけ耳が悪いんだ!と。

私はこの事実を受け入れていませんでした。いや、これは後になって思ったことで、当時は耳のことはほとんど意識さえしていませんでした。

社会人になり、何がきっかけかは忘れましたが、補聴器を使うになりました。
信じられないと思いますが、それでも耳が悪いと言う意識はなかったのです。メガネの様な感覚でした。この頃は少し耳が悪いというのは恥ずかしいことだと思い、隠していました。補聴器も小型の耳の穴に入れるタイプを選び、耳が見えないように髪で隠していました。

30代になり、何度目かの補聴器を新しく購入する際に行った検査で、もしかしたら、障害者の域に入るかもしれないと言われました。そこで初めて“障害者”と言うことを意識し始めました。

これまで、どれだけたくさんの人に迷惑をかけたか、相手がフォローしてくれていることに気付かなかったか。
会話が成り立っていなくて、相手は私のことをどう思ったのか、自分が聴こえない不快な音を発していたのではないか考えれば、キリがなく、様々な思いが出て来ます。

ですが、障害者と割り切った時に楽になったのです。
自分から耳が悪いです、と言えるようになったら、世界が変わりました。

今、某百貨店でアルバイトとして働いています。
バッジの下には“私は耳が不自由です。少しゆっくりお話ください”と言うものを付けて貰いました。
そうするとお客様にはご迷惑をかけておりますが、おかげさまで楽しく働くことが出来ています。

一番、私が私と同じような環境の難聴者に言いたいことは、「自分は耳が悪い」と意識すること。

それは、恥ずかしいことではなく、周りに伝えることで相手が理解してくれて、もっと楽しく気楽に生活出来ると言うことだと思います。

そして、難聴者の周りにいる方はこのことを困っている難聴者に教えてあげて欲しいです。

もっと早く気付けば、いやもし誰か早く教えてくれてたら・・・私の人生はがらりと違ったものだったのではないかとも思います。いや、30代で気付いたのだから良かったと考えるべきでしょうか。

私はこれからの人生、素直に、耳と仲良く付きあいながら、歩んで行きたいです。


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